忘れられない授業 前編~国語~

忘れらない授業と言えば、
もう一教科ある。
小学校六年生の国語の授業で、
壺井栄さんの『石臼の歌』
(いしうすのうた)を習った。
(時代背景が、、、。)
その小説の内容は、
あまり覚えてはいないが、
戦争の悲しい物語だったと思う。

改めて、調べてみると、
あらすじは、こんな内容だった。
瀬戸内に住む、
主人公(千枝子)とその祖母が、
石臼を引く中で、石臼を引く楽しさを、
歌を交えて教える。
石臼は「団子がほしけりゃ臼回せ」
歌っているのだと。
ある日、広島にいる従妹の瑞枝が
疎開のために里帰りするという。
妹同然の瑞枝がやってくることに
千枝子は大喜びする。
やがて八月となり瑞枝が
母親(千枝子の義理の伯母)と
共に家にやってきた。
母親は瑞枝を置いていくと、
ほかの家族のためにすぐに
広島へと戻る。
そして、瑞枝の母親は、
「8月6日の早朝、広島戻る予定」だと
伝えて出立。
予定通りに道中無事に
広島市へ到着する、、、。
数日後。盆の十三日を迎えた
祖母の前には物言わぬ
石臼の姿があった。
石臼はもう歌わない。
祖母は石臼を歌わせる力を
無くしてしまったのだ。

簡単に、まとめてしまったが、
この8月6日に広島に帰るということが、
どういう意味なのか、、、。
そのショックで、
祖母が石臼を引けなくなった
理由が分かる。
悲しい物語なのだ。
私達が、小学生だった頃は、
戦争についての物語や、
話を聞く事が授業の中でも
意識的に取り込まれていた。

話は、脱線してしまうが、
私の母方の祖父母は、
広島に住んでいた。
小学校の授業で、
戦争体験のある祖父母から、
話を聞いて発表するという
授業があった。
その時に、祖母から、
その頃の様子を手紙で教えて
くれた事があった。
広島県でも市街から離れた
ところだったから、
戦争で負傷された方が、
電車で帰ってきて、
自分の町の人がいないか、
毎日電車を見に行って探した話、
その後は、全く食事が
喉に通らなかったこと。
ただ、祖父の事は、
書かれていなかった。
祖父は、物流関係の仕事をしていた。
原爆投下の数日後に物資を運んだ為、
被爆者となった。
私は、祖父からその時の話は
一切聞いた事がない。
頑なに、その時の話は、
聞いたことがなかったので、
祖父が亡くなった後、
実は被曝者であると知った。
四人姉妹の母の一番上の叔母も、
原爆が投下された時、
空が光って、
どこに花火が上がったのかと、
思ったと話をしてくれた事があった。
私自身も、戦争は体験していないが、
身近に、8月6日を体験した、
身内がいる。
この物語は、決して、
全く知らない世界のお話ではなかった。

いつの時代でも、命は尊い。
これは、どんな時代でも、
不変である。
この小説から、どんな忘れられない
授業が始まったかは、、、
また明日!!

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