まず始めたこと
会社を退職して、
まず最初に始めたこと。
それは、新聞を読むこと。
毎日、目は通していたが、
見出しをサラッと読み、
分かったような気になっている、
と自覚していたから。
実際、何が世の中で起きているのか、
その内容を自分で理解しているのか、
いるようでいないような、、、。
ふんわりした認識で、
日々、生活を駆け抜けていた。
新聞を読む
まず始めに、
新聞を読むといっても、
時間はあるのだから、
まずは、
声に出して読んでみた。
ところが、
スラスラ、、、読めない。
だって、漢字が読めない。
黙読だと、読めなくても、
漢字の形で何となく
意味を理解し(たつもりで)、
立ち止まることなく、
スキップ、スキップしていたのだ。
でも、実際に声を出して読んでみると
読めない、、、。
あ~、今まで本当によく
何も知らずに、ここまで
生きてきたものだと、
とにかく恥ずかしくなった。
初日は、読めない漢字を
調べ調べ、隅々まで、
音読するのに、二時間かかった。
もはや、内容を理解する以前の
問題だった。
漢字を書き出す
次に、始めたことは、
とにかく、読めない漢字を
ノートに書きだし、
読み方と意味を調べていく。
さらに、その意味を深く
調べていく、、、。
類義語や反対語についても
調べていく。
漢字の成り立ちや、
意味を調べだすと、
時間を忘れる。
自分の中で完全に、
欠落していた知識を
ノートに書きだして、
補強していく。
一度書いても、すぐに忘れるので、
何度も読み返せるように。
ノートに書かないと、、、。
一つの不明な漢字から、
どんどんたどって、
調べに調べ、
新聞の内容とは、
全く別のところへ
脱線していくこともある。
でもいいの。
エンプティだし、時間はあるし。
こんな寄り道は、したことない。
これが、勉強=学ぶという
ことではないか、、、、。
時間があるということは、
自身にとっては、
広く浅くではなく、
狭く深く、探求する好奇心を
得られることだった。
ふんわりからの卒業
ふんわりの正体は、
曖昧模糊たる状態だったわけだ。
画数の多さが、目に痛い!
曖昧模糊が明明白白になっていく。
推理小説の犯人を次々
暴いていくような、
ワクワクする感覚を
今、改めて感じている。
新聞の音読を始めて、
1ヶ月、少しづつ変化が出てきた。
それは、また次回。