SAKURA去る 中編

悲しい退院
病院を退院したその日、
春めく季節のはずなのに。
外の景色に色を感じなかった。

突然、息子とも離れてしまう事になり、
泣き叫ぶ息子(まだ当時は2歳、
何が起きているのは理解できない年齢)
を引き離して、1週間が過ぎていた。
元気にしているかな。

こんなに長く息子と
離れといた事はもちろんない。
1週間ぶりに息子の顔を見た時、
泣いて飛びついてくるかと思ったが、
彼は私を見て不思議そうに首を傾けた。
息子は、幼いなりにも妹が
産まれる事を理解していたのだろう。
お腹の中で赤ちゃんが動くのを
触って喜んでくれていたから。

罪悪感と喪失感
それから毎日は、
出口のない真っ暗なトンネルの中に
いるような気持ちだった。
出産している達成感があるのに、
赤ちゃんがいない、、、。
知性では理解できても、
人間としての本能で
理解ができないのだ。
もちろん、出産をしているので、
身体の変化も起きる。
胸も張ってくる
(薬で抑えても、張ってくる)でも、
母乳を飲ませる赤ちゃんがいない。

何より、日常生活の行動、習慣、
全てに罪悪感を感じるようになった。
意識、無意識関係なく全ての行動、
習慣は生きるための行為。
立ち上がる事、寝る事、
食べる事、瞬きする事、
トイレに行く事、お風呂に入る事、、、。
その度に、
子どもが亡くなっているのに、
何故自分は生きようとしているのか、、、
そう感じてしまう、
罪悪感である。

外に出ても、、、
一歩外に出れば、
妊婦さんだった人の
お腹がへこんでいるから、
「産まれたんですか!!」って、
お祝いモードで聞かれる。
説明も苦痛だったが、
気楽に声をかけてしまった事を
明らかに後悔している、
相手の方を見ているのも
苦痛だった。

フィルターをかけ続ける
今、この瞬間、過去の私と同じように、
自分を責めている方がどこかに
いらっしゃるかもしれない。
私はその方々に寄り添ったり、
何か前向きになれる
言葉をかける事はできない。
何故なら、私自身が何を言われても、
どんな言葉をかけられても、
誰といても傷つくだけだった。
でも、人には『時間』という薬が、
平等に処方される。

『時間』は薄い薄いオブラート
のようなフィルターで、
何日も何年も自動的に
かけ続ける事で、
きっと効果を感じられるように
なると思う。
特効薬ではない。
なかなか効き目は感じないと思う。
19年も前の出来事だ。
今では、桜が咲く季節以外は、
ほとんど思い出す事がない。
SAKURAちゃんも
それを望んでいるはずだ。
ここに書き留めておこうと思ったのは、
桜の咲く季節になっても
忘れそうな自分が今はいるからだ。
それは、流石に娘のSAKURAちゃんが
怒っちゃう。

今回、これだけは書きたいと
思っていたら、
長くなってしまったので、
来週はSAKURAちゃんにまつわる
不思議な話で、
この話題は完結したいと思う。
本当に不思議なんですよ。

スポンサーリンク