娘にしてあげられること 成人式への想いは重い

娘が成長するにつれ
母親として、
娘にしてあげられることが
少なくなってきた。
今一番気合が入っているのが、
成人式である。
これだけは、やってあげたいと
ずっと思っていた。
数年前に、成人式で借りていた着物が
手配できなくなるという、
悲しい事件があったので、
2年も前から、レンタルで
決めておくのは、
大丈夫かと心配もあったが、
それでも、母親として、
事前に慌てなくて済むように、
手筈を整えておきたかった。
金銭的にもね。

自分で出来ることは自分でする。
自分で出来ることは、
自分でできるようになる。
ダメ母として、ある時に
子どもたちに気づかされた事は、
子どもたちが、自分で決めて
自分で決めたことに向かって
進むこと。
親は、それをただただ応援する。
子どもの未来は、
親が決めるものではない。
子どもの生きる今や未来の価値を
親が判断してはいけない。

たとえ、自身の経験上、
こうした方がいいと思っても、
それが、社会で生き抜くうえで、
正解に近い答えでも、
子どもが決めて、子どもが進む。
そこで、なにかつまずいても、
自分で考えて、乗り越える。
子どもの未来に、
先に親が立ちふさがり、
道を創ったり、
先導してはいけない。
母親は、影の応援団長なのである。
本当に困って、相談されたときには、
しっかり向き合う準備をしながら。
それが、ある時期まで、
出来ていなくて、
本当にダメ母だった。
今は、気づけた分まだましだとは
思うが、ダメ母ですよ。

母親ってなんだろうな。
最近、子どもたちは、
ただただ、気分が向いたときに、
話に来る。
私に意見を求めているわけでは
無いようだ。
話をしながら、子どもなりに自分の
思いを再認識したり、
ただ、気持ちを受け止めてもらいたい
だけだったり、する。
そこに、私の意見は挟まず、
ただただ、聞くことに徹して、
言葉を肯定して受け止める事に
意識をしている。
そんな、言葉を受け止めていると、
子どもたちの、母親には痛い、
本音をチクッと漏らすことがある。
そんな時は、
あの時はそんな気持ちだったんだ。
ごめんね。
と、謝らなくてはならない事ばかりた。

娘は4月で二十歳になる。
息子が二十歳になった時も、
感慨深かったが、
娘の二十歳もまた、感慨深い。
娘は幼い頃いつも、朝起きると
布団の中に隠れて、まるまった。
そして、
毎朝、クイズが始まる。
毎朝、布団の中でまるまって、
彼女は「たまご」になるのだ。
そして、
今朝は何のたまごか?クイズが、
始まるのである。
「一番 きょうりゅう」
「二番 ワンちゃん」
「三番 ねこちゃん さあなんでしょう!!」
そして、私が、
「一番 きょうりゅう!!」
と回答すると、
「ブブー、今日はワンちゃんでした~」
というやりとりが毎日続いていた。
なんて、可愛いこと、、。
そして、そのルーティンが終わると
もそっと、起きてくる。

いろいろな、辛い経験
したと思う。
そして、乗り越えながら、
今がある。
私が、今、出来ることは、彼女の
成人式の準備である。
FURISODEMODEさんの、
タカシマヤゲートタワーモール店さんで、
2年も前から、着物を予約して、
こんな日が来るのかと思いながら、
ついに、本日は前撮りの打ち合わせ。
来月は、前撮りである、
私自身、母に二十歳の成人式の着物や
その手配をしてもらったことが、
とても嬉しくて、記憶に残っている。
先週は打ち合わせの時に、
お願いしたい髪型の選定をした。

娘の成人式にむけて、
母の想いは重い!!


 

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