ピアノを始める

小さな路地の、
道幅の狭い緩やかなカーブの両脇に、
様々な形の小振りの木造の家が
並んでいる。
中でも、そこだけがお屋敷だと分かる。
「ひちや」と看板のある、
その建物の2階がピアノ教室となっていた。
自宅の離れの2階を教室にしたのだろう。
その自宅の玄関はいつもひっそりとして、
暗かった。異質な空間が広がっていた。
子ども心にこちらには、
入ってはいけないと、感じていた。
何が「ひちや」なのか、子どもには、
意味も分からない。
先生は、恐らく音大出身で、まだ若かった。
オカッパの黒髪に眼鏡、口紅は赤。
先生の指導は、厳しかったと思う。
特に、鍵盤を弾く時の指の形に
ひどくこだわっていた。
母がどこからこの先生の話を
聞き、私を通わせてくれる事に
なったのか、経緯については、
聞かずじまいだ。
5歳の頃からこのピアノ教室に通いだした。
ピアノは好きだったし、
子ども心に結構弾けていると
自負していた。
初めての発表会で弾いた曲は、
中田喜直先生の「スピード自動車」という曲。
是非、聴いて頂きたい。
不思議な曲だから、、、。
タタター・ティティティーのフレーズが
【聴いてもらえば、タタター・ティティティーの
意味がわかると思う】、耳に残る。
今でも覚えているほど。
毎年、教室の発表会があったが、
私が小学4年生の頃、
先生の音大仲間(推測だが)の先生数人と、
合同で名古屋で発表会をする事になった。発
表会には、各教室の生徒さん
数人づつが選ばれた。
私も小学4年生の最年少で、
先生の教室から数人の枠の中に選ばれた。
ちょっと鼻高々だった。
その発表会には、写真だけでなく、
演奏も録音して、カセットテープ
(当時は最新)で頂けるとの事だった。
そう、、、思い返せば、
この発表会が、私の音楽ネガティヴ思考の
イントロ部分となるのである。
続きは、明日、、、。

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