ピアノの発表会で、演奏が止まった時は、、、

初の名古屋での発表会。
以前に、多治見市の土岐川を挟んで、
私が住む「橋こっち」と「橋向こう」について、
書いたが、私が小学生の頃は、
土岐川を挟んで駅側の橋向こうと、
自分が住んでいる橋こっち。
橋向こうには行かないようにと、学
校から指導があった。
橋向こうに行くと、
悪い子になってしまうようで、私は
ちゃんと守ってきた。
それが、名古屋市で開催される発表会である。
数人の先生の教室から、選ばれた生徒さんの
集まりである。
緊張しないわけがない。
当時、小学四年生だった私は、
予想以上に舞い上がっていた。
そして、本番の演奏で、
よくある、頭が真っ白になってしまったのである。
曲のあるところから先のフレーズが、
全く思い出せないのだ。
そうなると、どうなるか、、、
初めから演奏して、その場所で止まり、
また初めに戻り、その場所で止まる、、。
初めに戻れば、思い出すかもしれない、、、。
自分なりの必死の対応だった。
止まってしまった静寂の時間が、
永遠の時のように長く感じた。
焦る、、、という言葉ではもどかしい。
この時の、自分を取り巻く客席の
連鎖した緊張感は、ご想像して
頂けるだろう、、、。
この緊張感がさらに、追い詰められていくのだが、、、。
結局、何度か止まって、
先の先のフレーズに飛んでなんとか
曲を終わらせた。
いつもなら、ピアノが全く弾けないのに、
厳しい母親から、𠮟咤されるところだが、
その母親でさえ、私があまりにも哀れで、
かける言葉もなかったようだ。
あの厳しい先生でさえ、
不自然な優しさが、逆に子ども心に
かなり深い陰を落とした。
大人は、私を気遣い、傷つけないように、
まるでこの私の演奏の失敗は、
なかったかのように、振る舞った。
要するにそこまでの出来だったのだ。
発表会の後、私も子ども心にこの出来事を
忘れようと努めた。
忘れないと、立ち直れないほど、
どんどん自分を責めてしまいそうだった。
子どもでも、大人には見えない心の内で
葛藤していたのだ。
発表会の出来事を忘れかけたある日、
ピアノの、レッスンの時に先生から、
あの発表会の時の写真と
自分の演奏を録音した、
カセットテープを頂いた。
この続きは、また、来週。
書いていて気づいたのは、
音楽の話が、今まで書けなかった
理由が自分で分かってきた。
過去を飛ばして、今を切り取って
書くことは、出来ないほど、、、
ほろ苦い、エピソードが満載なのだ。

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